前回は、サントリーの二つの蒸留所「山崎」と「白州」のマザーウォーターの地質学的成り立ちについて、簡単に触れた。
今回は、その水を守るために行っている活動のお話をしてみたい。
ただ、その前に、サントリーが全国の工場の水源涵養エリアで展開している「天然水の森」活動について、簡単に触れておく。
サントリーは、ほとんどすべての製品を良質な地下水=天然水でつくっている。ウイスキーもビールも、清涼飲料も、天然水がなければつくることができない。つまり天然水は、サントリーにとって最も重要な原料のひとつであり、企業活動の生命線に他ならない。
ならば、その生命線の持続可能性を守るのは当たり前ではないか。そんな思いから始めた活動が「天然水の森」だ。全国22か所、約12000ヘクタールの森で科学的な知見に基づいた整備が行われている。
ただ、残念なことに、2000年にこの活動の企画を始めたころには、どのような整備が地下水を育む力を高めてくれるのかに関する科学的知見が乏しかった。そのため、我々は森と水に関する多くの分野の専門家たちとの共同研究を始め、この20年で様々な知見を得ることが出来た。
中でも、もっとも重要かつシンプルな知見は、二つだ。
一つは、雨水を地下に誘導するためには、入り口である森林土壌をスポンジのように空隙が多いフカフカな状態に保護・育成する必要があるということだ。しかし現実には様々な理由によって森林土壌が流亡し、地表がカチカチになって、水がほとんど浸みない不健全な森が多いのだ。
その典型例が、植えっぱなしでその後の手入れが遅れているスギやヒノキの人工林問題である。そういう森では満員電車のように木々が混みあっているため、地面に光が届かない。真っ暗になった地表では、草や低木が育つことが出来ず地面が剥き出しになっている。
そういう森では、大雨のたびに地表を水が走り大切な森林土壌を流し去ってしまう。
こうした森のもう一つの問題は、蒸発散量が多い点だ(これが、二つ目のシンプルな知見)。
降った雨が木々の葉に遮断され、地面に届かずに大気に戻ってしまう量を遮断蒸発量といい、木々が成長するために大地から吸い上げた水を空中に戻す量を蒸散量という。その二つを合わせた量が蒸発散量である。手入れ遅れの人工林では、この蒸発散量が非常に多い。
つまり、せっかく雨が降っても密生した木々があるために蒸発散してしまう量が多い上に、地面に届いた雨もカチカチの土に邪魔されて地中深くまで浸み込むことが出来ない。
地下水にとっては最悪である。
こういう森で地下水を育むためには、どんな整備をすればいいのだろうか。答えは簡単だ。密生した木々を強めに間伐して蒸発散量を減らし、同時に地表に光を届けて林床植生を復活させ、フカフカな土壌を保護育成すればいいのだ。
この写真は整備の一例だ。強めの間伐をし、倒した木を等高線状に並べて、土留めと種の止まり木にしている。すると風で飛んできた種や、鳥や動物が糞と一緒に蒔いてくれた種から、多様な植物が再生してくる。
その時、土の中でどんなことがおこるかを示したのが、下の図だ。
残されたスギやヒノキの根が深く広く張り始めるだけでなく、多様な下層植生の根が土壌の深いところ、浅いところに満遍なく張り巡らされていく。
植物の根は、種類によって形が異なっている。深くまっすぐに根を伸ばす植物や、細かい根を網目のように伸ばす植物、表面にネットのように根を張る植物などだ。
根の形が多様だということは、多様な植物が再生すればするほど、土の中には透き間なく根が張り巡らされるということに他ならない。しかも細根という直径2ミリ以下の細い根は、毎年冬には枯れて春にまた伸びてくる。枯れた根はパイプのような状態になり、水の通り道になる。
有機栽培の世界では「根が土を耕す」とよく言われるが、森ではまさにその通りのことが起こっているのである。
もうひとつ。多様な植物が育ち始めると、それらと共生しているミミズなどの土壌動物や微生物が集まってきて、彼らも一生懸命土を耕してくれる。
こうして、森に棲む生き物たちが多様になればなるほど、地下水を育む力も増してくる。
水を育む森づくりとは、生物多様性を再生する森づくりに他ならないのである。
ただし、今回ご紹介した「手入れ遅れの人工林」問題は、日本の森で起っている様々な課題のほんの一例にすぎない。
次回は、サントリーウイスキーの故郷である、山崎蒸溜所と白州蒸留所の裏山で、生物多様性を再生し、森林土壌を健全化するために、具体的にどんな活動をしているかをお話ししようと思う。