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環境教育の原点―自然と人(1) 2022.10.15

私の小さいころの横浜の街は焼け野原でした。瓦礫の原に夕日が沈んでいく、という景色が私の原風景です。町中に生まれ育ったので自然に接することが乏しかった。たまにオニヤンマなどを目にするとどこまでも追いかけていったことを今もおぼえています。

セミもアブラゼミしか目にしたことがなく、羽の透き通ったミンミンゼミが欲しくてたまらなかった。小学校高学年になると、オニヤンマやミンミンゼミを追いかけて少しずつ横浜の周辺の野山に遠征するようになりました。

丹沢の沢登り(好日山荘ホームページより)

中学に入るといろいろな部活動があり、野球部に入ったり、陸上部に入ったりしましたが、長続きせず、野山に出かけていました。そのころ友達に誘われて丹沢に出向いたのです。意外と私は山歩きに強く、友達が音を上げるようになりました。今度は私が様々な友達を誘って山に行くようになり、そのまま登山の世界にのめり込んでいったのです。

高校では山岳部に入り、冬の八ヶ岳、夏の北アルプス、穂高や笠ヶ岳などにも遠征しました。普段は丹沢での沢登りです。これはもう毎週のように出かけました。丹沢ではザイルやハーケンなどの本格的な岩登りも習いました。高校の後半になると、ヒマラヤの未踏峰に登るんだ、という夢で頭の中は一杯です。その勢いで、大学でも山岳部に属し、アンデスやヒマラヤに遠征しました。落第を重ね本格的に世に出るまで7年かかりました。そして、縁があって新聞記者になりました。

大学3年の時に初登攀したアンデスのイリマニ山(6,403m)北稜(中央の鋭い急なリッジ)

新聞記者になってから、山の別な面が見えてきました。以前は先鋭的な登山に明け暮れ「より困難な登攀」を求めて、ヒマラヤの天高く聳ゆる氷の山しか頭にありませんでした。しかし、仕事の合い間に一人で小さな山を登りだして初めて、途中の景色や動植物の豊かさに気が付き始めました。子どもができて、一緒に登るようになり、子どもと自然とのふれあいが何よりも大事だと気が付いたのです。

私が環境教育の普及に使命を感じた始まりです。そして新聞記者の仕事を通じて環境教育としての活動を始めました。

岡島 成行(おかじま しげゆき)

1944年1月、横浜市で生まれ。高校、大学とも山岳部。アンデス、ヒマラヤに挑戦するなど15歳から25歳は山にだけ集中した日々。卒業後、読売新聞記者、大妻女子大学を経て2014年より青森山田学園理事長。この間、日本環境教育フォーラム、環境教育学会、自然体験活動推進協議会などの設立に携わる。

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