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尾瀬の自然便り(4)絵筆が広めた風景美 2022.01.15

尾瀬の風景や情報も、今は画面を少し操作するだけで、容易に見ることができます。未知の場所の様子もすぐに入手でき、自ら情報を発信することも、数秒でできる時代です。

尾瀬は1949年にNHKラジオで流れた唱歌「夏の思い出」で全国に人気が高まり、多くの登山者が訪れるようになりました。しかし、元々は自然の恵みを生業にする人など少数の往来のみ。その未開の地に、明治時代の頃から、自然環境の調査や、植物学者などが入山するようになりましたが、一般市民にはまだ馴染みのない地でした。

その中で、まだラジオもテレビも、そういうものが普及していない時代に尾瀬を広めた方がいます。そのひとりが、大下藤次郎(1870-1911)さん、水彩画家です。尾瀬の美しい風景を水彩画で紹介したのです。

1908年7月、4人で画材道具や食糧、毛布等を背負い、現在のように整備された道もない中、尾瀬沼に写生のために入山しました。滞在中に描いた下絵をもとに、作品を完成させ、帰京後に東京で展覧会を開催。また、発刊していた水彩画専門雑誌「みずゑ」の臨時増刊号に尾瀬特集として、風景画と紀行文を掲載します。
絵による尾瀬の初めての情報発信であり、尾瀬の美しさや神秘的な景観が一般に知られる、大きな一つのきっかけとなったそうです。登山者の目にもふれることになり、明治期から大正期にかけて、学生などの入山も徐々に増えてきたそうです。尾瀬の風景が馴染み深い私も、実際に美術館で絵を観て、魅入りました。尾瀬を知る前に観ていたら、その一枚から想像を掻き立てられ、思いを馳せ、憧れを募らせたことでしょう。

7月初旬の尾瀬沼と燧ヶ岳

大下さんが描いた水彩画「生誕150年大下藤次郎と水絵の系譜」p.72より

また、尾瀬沼のほとりには、大下さんの顕彰碑があります。これは長蔵小屋の初代、平野長蔵さんが大下さんの功績に感謝を込めて、1922年に建てたものです。

尾瀬沼紹介者 大下藤次郎 記念碑

その大下さんも、尾瀬を訪れるきっかけとなったものがあったそうです。1894年に利根川の水源を求めた利根水源探検隊が(あら)わした尾瀬方面についての探検記事「利根水源探検紀行」や1905年に武田久吉が植物採集旅行として尾瀬に入った際の「尾瀬紀行」から影響を受け、「ぜひ尾瀬沼を探ってみたいと思った」そうです。

探検記、尾瀬紀行、大下さんの紀行文にも尾瀬の風景の素晴らしさを絶賛する様子が書かれています。最初は限られた人のみの世界も、自分の目で見て、これがいい風景だと感動したものを伝え、広めていきたいという気持ちは今も昔も変わらないのだなと思いました。

【参考著書】
島根県立石見美術館・群馬県立館林美術館(2020)『生誕150年 大下藤次郎と水絵の系譜』
大下藤次郎(1986)『大下藤次郎紀行文-尾瀬沼』美術出版社、(長蔵小屋にて購入)
浅野孝一(1993)『尾瀬ものがたり』新潮社

伊澤 菜美子(いざわ なみこ)

尾瀬自然ガイド。神保町で紙の卸売会社に勤めながら、休日は森に通う社会人生活をしばらく過ごす。その後、山梨の自然学校で環境教育を学び、ガイド、ビジターセンター運営の経験を経て、群馬県北部に移住。現在は尾瀬国立公園で自然や関わる人々の魅力、環境保全の取組みなどを伝える仕事に携わる。

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